康花美術館やすか      
  YASUKA MUSEUM OF ART


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寄せられた感想

    ★大学生の夏休み、「自分は何者になりたいのか、何者なのだろう」と悩みながら、ある知り合いの方にこの美術館をすすめられて来ました。
    康花さんの作品一つ一つが彼女のアートと純粋な心、また自分と重ねるのは非常に恐れ多いのですが、しかし、「自分とは一体何者だろう」と 悩み、もがき続けることが「生きる」ことに対しての思いなのではないかと思いました。
    考えさせられることがたくさんあり、言葉ではうまく伝えることが難しいです。
    しかし、康花さんの作品と思いを受け止め、自分の人生において大きなエールをもらったような気がします。
    また、松本に来たら訪れたいです。素敵な美術館に出会えることができてとても嬉しかったです。

    ★主人に誘われて来館しました。康花さんという画家の事を知る事が出来て本当に良かったです。 康花さんの30年の人生に触れて、生きる事、死について考えさせられました。
    小六の時の「わたしの家族」、暖かい眼差しで昼寝中の家族をみていたのでしょう。 とんぼとひまわりからも生命が溢れています。1993年以降の自画像は館長さんがおっしゃる通り、 自身の内側がとても緻密に描かれていると感じました。
    今回は初めての松本への旅でしたが、康花さんの絵を見にまた来たいと思います。 ありがとうございました。
    ( S.S )

    ★私たちは松本附属中から来ました。一つ一つの絵に深い意味がこめられている様でしたが、その全てを私は理解することができませんでした。 でも、康花さんはきっと一枚一枚に私たちには想像できないくらいの思いをこめているのだなと感じました。

    ★わたしも今金沢で絵を描いています。自分の美大受験の時と照らし合わせずにはいられませんでした。康花さんのことは全く知りませんでした。 もっと奇抜な上手な絵を描く人はこの世の中に沢山いると思います。でも、康花さんの絵一枚一枚必ず「おもい、想い」のようなものを感じました。
    わたしは、一枚一枚上手に描くことしか考えていませんでした。本人の思いが絵をただの平面から空間へ変えてるんだと思いました。 今日来てよかったです。
    ( S )

    ★9/24の「存在」という日記の書かれていることの問いは、あなたは死んでも尚愛され続けていて、あなたを愛してる人は 今もあなたを愛している、ということです。存在して良かったと思うが思うまいがわたしたちは存在していて、それは肉体を離れても尚続いている、 こんなにも愛され幸せですね。

    ★近所に住んでいるので、このように美術館が出来たことが不思議であった。そのうち新聞で知る。ブリキの太鼓とは、実物と解説をいただき感動した。 好きなかえるの中とはどんな気持ちか、何か発信を感じるが、それぞれ重たく、またあらたな光を探すようにもみえた。(略)
    (60代 女性)

    ★中学生の感想に打たれて2度目の来館です。康花さんが見ていた世界はどんな世界だったのだろう。どんな音が聞こえていたのだろう、 そんな思いを持ちながら絵や詩と対峙しました。中学生が素直な言葉で残した感想が心に沁みました
    心に残った絵・詩作:「ブリキの太鼓」、他1階に飾られている麻績村の風景
    (50代 男性)

    ★生きて描いて欲しかったと、本人が一番望んでかなわなかったことを私が思うのは、ただ残酷なことではないか、 それでもそう願わずにはいられない作品でした。
    (50代 女性)

    ★とても細かい表現で、命の表現が多くなっていくほど苦悩されていた様子が浮かびます。戦争映画をよく見られていたことから 若いのに反戦の気持ちでおられたのですね。
    心に残った絵・詩作:「最果て」
    (40代 女性)

    ★真っ直ぐで純粋でひたむきな真摯な生きることへの問いかけや正直に自分と向き合う、社会と向き合う魂を感じて、改めて 表現していくことの力を味わい、思いがけず我が身を振り返る時間となりました。
    心に残った絵・詩作:「ブリキの太鼓」、「光と命」、麻績の風景画
    (40代 女性)

    ★祖父から聞いた戦争の話をもとにいろいろと調べていたら、ここにたどりつきました。
    心に残った絵・詩作:「麦秋2」
    (10代 女性)

    ★正直、とても過激な作品ばかりでした。戦争への憎しみ、悲しみ、怒りなど、康花さんの想いが作品から感じられました。
    心に残った絵・詩作:「最果て」
    (10代 女性)

    ★初めて彼女の存在を知りました。自分と同世代でこんな過酷な運命を背負っていた人がいたとは驚きです。もっと多くの人々に 彼女とこの場所を知ってもらいたいと感じました。
    心に残った絵・詩作:「残滓」、「月を頬張って」
    (30代 男性)

    ★私の生きて来た中では感じることの出来ないものを見つめていらっしゃたのだとしみじみ思いました。
    心に残った絵・詩作:「風景」
    (50代 女性)

    ★5月のゴールデンウィークの暑い日にこの美術館に入ると、涼しい空気の中でBGMのクラッシックが流れ、作品をみて足を止めると 何だかなぜなのかわからぬが、不思議と眼になみだが浮かんできてしまった。
    心に残った絵・詩作:「永遠の花」
    (50代 男性)

    ★最近色々なことに悩み、日々流れるように過ごし、自分とちゃんと向き合ってこなかったことに後悔しています。 今日という時間がもう一度自分と向き合うひとつのきっかけになりました。
    心に残った絵・詩作:「嘔吐」
    (20代 男性)

    ★人生を激しく生きた1人の女性の姿から実にいろいろなことを考えました。よき勉強の時でした。
    (70代 男性)

    ★今度は三度の訪問です。同じ作品でも見るたびに違って感じます。また別の友人を連れてきます。
    心に残った絵・詩作:「抱懐」
    (30代 男性)

    ★心に迫り来る作品が多いです。
    心に残った絵・詩作:「輪廻」
    (30代 男性)

    ★よく訪れていますが、その度に色々な印象を抱きます。どの絵もエネルギーに満ちていてとても良かったです。
    心に残った絵・詩作:「崩壊前夜」
    (50代 男性)

    ★こんなにつらく、いたましくも透き通った美しい世界があることに胸をつかれました。
    心に残った絵・詩作:「昇華」
    (50代 女性)

    ★4度目の来館です。展示替え後に再度来館してつくづく感じます。彼女の絵は自身の詩や散文と一体展示されることでより一層その輝きを増し、 私たちの心に訴えかけてきます。今後とも様々な企画展を期待しております。
    心に残った絵・詩作:「ひまわりとトンボ」、「人生の狭間に立って」
    (50代 男性)

    ★康花さんの絵の中で私も遠い記憶をたぐりよせ、兄と時間を忘れて過ごした信州の夏を思い出し、今一度心が絵の中で遊び生き生きと何かがよみがえった気がしました。 また人には言えぬ想いを康花さんの言葉の何かに見つけ、涙が出ました。まるで気持ちの確認をしてもらったような、安らかな気持ちになれました。少しばかり苦しい時、 こうして伺いました。詩や絵を通してお話が出来たようで嬉しかったです。
    心に残った絵・詩作:「ひまわりとトンボ」、「恋」、「瞑想」、「白い顔の男−ヴォルゲーゼの闘士に」
    (40代 女性)

    ★暗い色使いの絵に、彼女の苦しみや不安が全て表れているような作品が多く、心を打たれました。母の死という辛い出来事を体験した人にしか分からな い悲痛さをよんだ詩も多く、十代の少女がこんなことを思って生きていたのだなと思うと、心が苦しくなります。しかし同時に、今の幸せを思い知る良い機会となりました。
    心に残った絵・詩作:「りんご」、「いい絵が描きたい」、「その人は死んだ」
    (10代 女性)

    ★11歳の頃の作品がすばらしいです。12歳の自画像もとても生き生きとしていて印象的でした。豊かな感性に支えられた、みずみずしい詩に感動しました。 絵を描くことや生きる事に悩みながら自分の心を見つめ、作品や文章として残したのものであることを感じました。
    (60代 男性)

    ★一つ一つの絵から康花さんの気持ちが伝わってくるような気がしました。
    心に残った絵・詩作:「その人は死んだ」、「私は何のために生きているのだろう」、「自由へ」
    (10代 女性)

    ★色彩感の表現が素晴らしかった。「蛇」のうろこの表現がおもしろく、まぶたが描いてあるのが面白い。後期の作品になるにつれて世界観が広がっていくのを感じる。
    心に残った絵:「蛇」、「絹谷幸二」、「ゴジラ」
    (20代 女性)

    ★死への憧れと、死に打ち勝とうとする意志との葛藤、その中から生み出された康花さんの絵が放つ力は、他に例を見ない程でした。感動しました。
    心に残った絵:「ベートーヴェン」
    (40代 男性)

    ★暗くグロテスクで恐ろしい。なのに繊細で美しく、見た者を引き込み、心を掴むような、そんな作品ばかりでした。特に「闇と光」、「抱懐」、「光の記憶」は私の心を強く引き、 「まだ見ていたい」そう思えました。
    ( A )

    ★銅版は昔から好きである。今回の企画展では康花さんの得意な版画世界を改めて堪能させていただいた。彼女の30歳の時の言葉「この虚しい悲しみは作品で昇華しよう、それ以外に 乗り越えられる方法はない」は実に重い言葉である。
    以前に読んではいるのだが、館内で「魂と風景−夢幻彷徨」を読むと、えも言われぬ興奮を覚えた。休憩室の画文集見本の「現代美術一考」に付箋を付けておいて下さったサービスも 大変嬉しく、これまた改めて熟読する機会を与えていただいた。
    そうして私は、水彩「リンゴの見える林道」を何とも心地好く観ながらこの美術館を後にする。
    (Y.S)

    ★新たな彼女の姿をかいま見ることが出来た。食3に非常にひかれた。いつ見てもどの作品にも絶望ではなく、希望があるなと思う。いつも明るいなと思って見ている。
    (R.Y)

    ★落ち着く空間でした。離れがたく感じ、来る前の印象とは全く違い驚きました。
    (N.T)

    ★「闇の中で微かに漏れる明かりを浴びた世界は美しい」という言葉がまさに作品をよく表していると思いました。闇の中でこそ光り輝く世界が美しく見える。 とても強く、そしてやさしい絵だと思いました。言葉と作品に心震えました。
    ( S )

    ★以前から新聞等で康花さんの事を知り、いつかこの美術館を見せていただきたいと思いつつ、今日息子と主人と一緒に参りました、私どもの娘も六年前にあの世に逝ってしまい、それ以来、 私は失意の底にうごめいて過ごしている訳ですが、息子も絵を少し描いていて、私も今は亡き娘にささげるつもりで絵はがきを描いていてすでに200枚近くなります。こんな素晴らしい絵を残され 天国に逝かれた康花さんのご冥福を心よりお祈りします。私どもの亡き娘も私どもにとっては神のごとく良い娘だったのです。
    (A.H)

    ★今回の企画展もまた、期待以上の素晴らしさでした。優れたデッサン力があってこそのものでしょうが、裸婦習作の1、4、9に私は強く惹かれました。 今回、館のすぐ入り口に展示してある詩「最高の贅沢」・・何と素晴らしい詩でしょうか。病弱だった康花さんならではでしょうが、これが15歳の 少女の作品というのが実に驚きです。
    今後の企画展にも大いに期待いたします。
    (Y.S)

    ★何度か足を運ばせてもらっています。好きな作品も数多く有りますが、やはり『最果て』には来る度ごとに凄まじいエネルギーに圧倒されます。存在する美しさに涙する、いや美しさというのも、悲しさ、苦しみ、激しさ、 はかなさだったり、様々な感情が一点に集結してあふれ出てくる様な感じがします。全てが彼女にとってはこの様な美しさだったんだろうなと僕は思いました。 泣いても泣いても、泣きじゃくってもまだあふれてくる感情。その激しさは生きている限りは永遠に尽き果てることのないものなのでしょうか。『光の回廊』展では12の作品に魅了されました。1〜12まで進む度に 奥に輝いている光がまぶしくなっていく感じがしました。
    (R.Y)

    ★人間は必ず死ぬということを思い出させてくれました。まるで瞑想廟に来たような気持ちで、命の深遠さを味わいました。須藤康花という 人の心の軌跡を知ることができる散文が添えられていたことが、この美術館の体験を奥深いものにしてくれたと思います。彼女の文をもっと読んでみたい。
    (T.D)

    ★今日は「田舎の詩情・冬」と題された企画作品を観に訪れたのだが、館内に足を踏み入れて、まず手の習作1、2、3に圧倒された。彼女の描く手は本当に力強い。
    目的の第4展示室と休憩室に展示された麻績村の冬の風景水彩は期待どおりの素晴らしさであった。「田舎の詩情−麻績村の四季」等で風景画を拝見してはいたが、やはり実際にこうして観せていただくと写真とは全く違う、何とも素晴らしいのである。 今後の時折、春、夏、秋の企画も是非お願いしたい。
    今日も彼女の詩が胸に響く、私は中原中也が好きで、詩というものはリズムが何よりも大切だと思っているのだが、彼女の詩には中也などとはまだ違ったリズムがしっかりとある。 (略)是非、多くの人々に観ていただきたいものである。
    (Y.S)

    ★伺いたいと思いながら、何度も美術館の前を車で通り過ぎていました。ようやく思いがかないました。“何のために生きるの?”という康花さんの問いは、素晴らしい絵や、ことばを目にした私たちに問われているような気がします。 彼女はこの作品を私たちに見せて下さるために生きていたといっても過言ではないように思います。
    美術館を作り守って下さるお父様にも感謝申しあげます。車イスの介助もありがとうございました。重症心身障害者といわれている方たちと縁あっておつきあいさせていただいています。本物を一瞬で見分けてしまえる彼らたちです。 前ではごまかすことができません。康花さんの作品に同じように思いました。
    (R.H)

    ★お母様や弟さんの死、そして、次々と襲ってくる病。その中にあって、死に対するあこがれと、死に打ち勝とうとする意志。そのせめぎ合いの中から、生み出された数々の作品に感動しました。
    特に、耳の病から、一度は遺書を書きながらも それを乗り越えたベートーヴェンのライフマスクをモチーフに描かれた作品に感動しました。おそらくその時康花さんは、自己をベートーヴェンに重ね合わせていたのでしょう。
    (平塚市 N)

    ★心理がここにありました、様な気がしています。共感し、毎日の時間の使い方がそのまま命の使い方である事を気付きながら、凡の中でただただ起こる全てを受け止めたいとも思う気持ちにも。 ここで作品に巡り会えて嬉しく思います。ふんばって、皆生きているのカナ。それぞれの時間の中で。
    ( M )

    ★こんな所に美術館があるとは知りもしませんでした。私は弟の付き添いで来たのですが。ここに来て本当に良かったと思っています。康花さんは幾度となく生と死について考え、苦しみ、それでも絵を描き続けていたんですね。 私は中高と美術部でした。絵を描くことが好きです。康花さんの私と同い年の頃の作品と考えに、とても納得し、感銘を受けています。いかに私が幸せ者かと思い知りました。彼女の絵が、考えが、さらにたくさんの人に感動を与えることをお祈りしております。
    (高3)

    ★康花さんの残された作品と言葉を体全体で感じてみる。いかに自分がのんびり、ぼんやりと生きてきたかが思い知らされる。ほぼ同年代の康花さん。また、あなたの作品と言葉に触れに来ます。無力な自分を受け入れるために。
    月日とともに変わってゆく感受性に身をゆだねながら、また康花さんの魂に会いに来ます。
    ( T )

    ★本日三回目の入館です。このように明るい水彩画を描かれていたのですね。気づきませんでした。一筆で一気に描かれる水彩画には迷いなくすっきりとしていて、今までのイメージと少し違う印象を受けました。
    死と隣り合わせの30年間。いつか、自分は一個一個の細胞となって、自然の一部に還っていくことを意識されていたのでしょうか。小豆大の細胞で表現されたり、また、時には織物の繊維のようなつながりに表されたり、それは、彼女のどのような心から発せられたのでしょう。また、伺います。
    ( K )

    ★康花さんの作品を見たのは大学の卒業以来なので、あれから9年ほどになります。同級生だったのにもかかわらず知らない作品が多くありました。僕も作家活動をつづけていますが なぜ作るのか? 何を伝えたいのか? 表現者である以上 一生考えていかなくてはならないと思っています。おそらく康花さんはそれを最期まで考え続けたのではないかと感じました。
    (S.U)

    ★再訪いたしました。「美しい人」、「康花 あの頃のように」、「田舎の詩情 麻績村の四季」を拝見してきて、改めて康花さんの作品との対面です。
    戦争の恐怖を描いたデッサン画の迫力に圧倒されます。現在もイスラエル、パレスチナ、イラク、ウクライナ‥‥闘いが行われています。共存できる社会を願わずにいられません。

    ★以前に来た時、私は自分の半身のようだった故郷と、町を失ったショックと、自分自身の精神の強迫からくる病で毎日が必死でした。日々吐き気と闘い周囲の不気味な空気を切り裂こうと必死の毎日でした。そんな中、わらをもつかむような心地で訪れたのがここでした。
    康花さんの生は私にとってショッキングなものでしたが、同時に深く共感するところがありました。初めてここを訪れた日の夜は、そのすさまじい生と死にショックを受けてしばらく寝られませんでした。
    あれから1年経ち、私はあの時から比べたらみちがえるほど回復しました。そのきっかけを与えてくれた場所は、やっぱりここだったんだと思います。
    康花さんの人生の証と、私の残す人生の証は、同じ絵を描く者でもやっぱり違うものであり、違うべきなのだ。と、今私は思います。
    互いに、自分に与えられたものを限りなく忠実に描くこと。それがきっと自分に与えられた使命なんだと、今私は思います。
    生きているうちに、康花さんとお話出来ればよかった‥‥。でも私は、今絵を描く中で、少しだけ何かお話させていただいている気がします。次にここへ来る時には、もっともっと成長した姿で、また再び参りたいと思います。康花さんに負けないように。
    ( Y )

    ★生きている、生かされている自分と、自分の仕事との関係を考えさせられました。自分の名誉の為でも、誰かその作品に触れる人のためでもなく、無心に魂の声に従って、作品をつくる、というような、あり方でしょうか。
    (T.D)



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    ★えんぴつで書かれている絵がたくさんあっておどろきました。えんぴつ1本でたくさんの色が出ていることに感動しました。私はその中で“蛇”・“紙コップ”がすごいと思いました。特に“蛇”はその目にすいこまれていく感じがしました。とても上手っていうのもあると思いますが、私は何かちがうものにひきつけられたように感じました。“蛇”の絵の前で何分も立ち止まってみました。私は康花さんのように絵が上手ではありません。でもこんなたくさんの絵をみたらその絵の数だけ勇気をもらいました。
    (丸ノ内中3年 M.A)

    ★とても繊細な絵を描く人だと思った。
    詩の「こんなことでいいはずがない」がとてもステキだと思う。日本人の日常を全否定したようなふん囲気がとてもステキだ。
    明るい所と暗いところのちがいがとても好きだ!!
    時間があったなら丸一日見ていたい絵だと思った。
    (丸ノ内中 T)

    ★今回の企画展は非常に魅力的な構成でした。
    丸ノ内中学校だったかと思いますが、生徒たちに授業の一環としてこの康花美術館を自由に鑑賞させていると、市民タイムスで読みました。
    大変良いことだと思いました。
    多感な青春時代に須藤康花さんのような画家、詩人に巡り会えることは幸福なことです。何であれきっかけというものが大事です。中学校だけでなく、高校でもそんな試みをやっていただけたら、ひょっとしてそれはとても素敵なことかもしれません。
    (Y.S)

    ★“紙コップ”が一番心に残りました。
    奥にある大きな紙コップに何か特別なものを感じました。
    それは何だったのでしょうか? 自分でも、わかりません。
    どれも、ステキな絵でした。
    (丸ノ内中3年)

    ★康花さん、あなたの絵には、あなたの苦しみも喜びも、すべて凝縮された光のようなものがあって、魂の叫びというか うめき?あるいはひとりごとが聞こえてくるようです。
    たしかにこの世をしっかりと生きた証。だれよりも「生きる」ことに専念したように思えるのだけれど‥‥。

    ★単純な絵でも、複雑な絵でも、見方や絵への思考を変えると、だいぶ違って見えて、どれも良い作品でした。こんなこと書いても、自分はまだガキですので、作者の深い心をまだよく分かってないです。とにかく、いろいろな絵を見られてとてもうれしかったです。
    (丸ノ内中2年 K )

    ★新聞などで開館を知り松本に来る度に寄ろうと思いつつ今日になりました。妻を月に数回信大病院に連れて来るのですが、待合室で数時間待っているのもつまらないと松本城を回り、戻る途中に看板を見つけて驚き、すぐに寄らせて頂きました。
    絵も描く、エッセイも書く、落語もやるで「すごいネ」と誉められて良い気分でいた自分が恥ずかしくなる康花さんの生き様でした。もうぼちぼちかなと思っていた人生まだまだと思いました。
    (ぽんこつ爺さん)

    ★田舎の風景を描いた淡い色彩の絵も、幾百、幾千もの粒で描かれた内なる世界の絵も、
    同じ人が描いたということに、
    大きな驚きを覚え、
    どんな現実も直視する聡明さと強さを感じました。
    (S.S)

    ★初めて来させていただきました。感動しました。私も少しだけ絵を描いています(趣味程度です)。絵を描くということの意味や制作に向き合うことの厳しさをあらためて考えさせられました。絵を描きたいという思いが強くなりました
    (S.Y)



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    ★飯山市から家族三人で来ました。カミさん、三女とです。どうしても貴女の作品が見たくて‥‥。私は絵が下手です。だから思うのかもしれません。絵は言葉以上に人間を感動させる様に思います。
    貴女の心情は? お母さんに対して優しい心が伝わって来ます。大好きだったんですね! ありがとうございました。この先、生きて行く勇気を与えていただきました。
    (ちょい悪おやじ T.S)

    ★市内に住みながら、つい来そびれていた美術館、今日拝見して本当に圧倒されました。麻績村の四季を描いた作品も良かったのですが、何より「夕べ」や「嘔吐」、「阿修羅」などの作品の激しい強さ、魂の叫びのような迫力にたじたじとなりました。
    (Y.S)

    ★やっと観に来ることができました。とてもうれしいです。
    実際、画に向き合ってみて、その繊細な感性を痛いほど感じました。すべてのものに生命を見いだし、取りこぼさんとしているようにも思えます。芸術家であるのに優し過ぎたのでしょうか。でも、そんな康花さんの画が好きです。
    「怠惰だったから」とご自分のことを仰るけれど、きっと風が吹くだけで痛むような心の日も多くあったでしょう‥‥それでも、
    多くの作品を残され、生き抜いた貴女のような誠実な人間が、現在どれだけいることでしょう。
    今日、来ることができて本当に良かった。また、会いに来ます。

    ★「取材のきっかけは、親しい友人からの紹介があった、それだけでした。絵の知識などほとんどなく(略)絵心のない私は、“新しい美術館を紹介しよう”、それくらいの気持ちでいました。
    しかし、松本の美術館を訪れ、康花さんの作品に向き合った時には、(向き合わないわけにはいかなかったのです)「この心の衝撃はどうしたら伝えられるのだ」という戸惑いと「何とかして伝えたい」という使命のような思いでいっぱいになってしまいました。
    放送した内容で、どれくらい視聴者に伝えられたのか、テレビではなかなか窺い知ることはできないのですが、会社の人間や、家族、友人は、“よかった”と声をかけてくれました。“康花さんの絵、もっと見てみたい”とも。
    言わずもがな、康花さんの魂の作品の数々の力と思います。そんな取材をすることができた私は、出会えた私は、幸せ者です。(略)」
    (2012年10月16日 N記者)

    ★鎮魂の秋雨そぼ降る烏城*夭折の天才画家の遺作を展示する康花美術館が、松本城近くにオープンしました。福島県生まれの東京育ち、大好きだった母を早く亡くし、病気がちの晩年は父親とともに信州麻績村で過ごし、わずか30歳の若さで亡くなった須藤康花さん(1978〜2009)の鎮魂の本を来年出版したいと考えています。
    (「お散歩クロちゃん」)

    ★図録・画文集を先に拝見していて、ようやく今日直筆の画と対面することができた。ほとばしる才能、絶望の淵にいながら死を受け入れ残された生命の時間を余すところなく作品へ費やした、これほどの天才の偉業を、これほど靜かで安らかな場所にて穏やかな気持ちでみせて頂けることは何という幸せなことか。画文集でその類いまれな才能に打ちのめされ、直筆の画に対面できる自分の用意が整うまで数ヶ月を要した。彼女の生きた生そのものである画の一つ一つがありありと彼女の存在を感じさせ、実物の作品の持つ力にこれほど圧倒されたことはない。生命をけずるようにして仕上げた一枚一枚、やがて終わりが近いと自覚してからの迫力の中にも祈りの境地にいた清らかな精神状態が映し出された作品、いずれもこの場でしか感じえない気の交流があるように思える。このように素晴らしい、どこまでも本物である美術館が、日本の、そして松本にある、この奇跡を心から感謝したい。
    (K.R)


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    ★康花美術館へ行ってきました。テレビで特集をして足を運びたいと思って来ました。作品がとても言葉では言い表すことができない。見る人により感じかたがすごく違うような、その人になんらかの影響力を与える画でした。その方の人生も私には思いもよらない、人生だと絵を見ながら感じました。三ヶ月に画が変わるとお父さまがおっしゃってましたので、その時にはまた足を運びたいと思います。ぜひ足を運んでほしい美術館です。
    (「ブスが世界を救う」)

    ★私は絵画はわかりません。でも、須藤康花さんの30年の壮絶な行き方を垣間見て何を伝えたかったのかな!?と1時間以上みていました。
    (「さるもんきのブログ」)

    ★何か、得たいすら掴むことが叶わない美しい音色です。
    美術館は全て、父親の須藤正親さんが私財を投じて創設しています。
    せめてこういったものに税金を投入してほしい。
    (「メトロギャラリー飯田」)

    ★短い一生を精一杯生きた康花さんの生き様に触れながら、ぜひ作品をご覧になってみてください。康花さんは亡くなられましたが、作品は生き続けています。康花さんからのメッセージが、時を越えてたくさんの人の心に届くといいなぁと願っています。
    (「森のみち草」)

    ★画材は「銅版、油彩、水彩、テンペラ、鉛筆、木炭、アクリル、コンテ」と多岐に渡るが…全ての絵に共通するモチーフは…「心の内面を描く」、そのように感じた。彼女の絵を、言葉で具体的に表す事は難しい…是非、自分の目で、心で感じてほしいと思う。
    (「masaのblog」)

    ★いきなり迎えてくれたのは12歳のときの自画像です。最初の方には住んでいた麻績村の美しい風景もありました。けれども多くはまだ若いのに死が迫っていることを感じさせるものでした。暗いけれども引き込まれるものがありました。銅版画による作品もありましたが、これは化学者から「命を削るからやめろ」と言われていたそうです。
    (「ほっとミュージアム」)

    ★「最果て」という絵の前で、なぜか涙腺がやられそうになりました。。。
    30歳という若さで逝った康花さんの命がどの作品にも散りばめられていて、今も彼女はそこに居る、と感じました。
    「レインボークラスター「たまゆい」)

    ★「康花さんの作品50点は、皆、感動、感激そして感涙でした。有難うございました。
    年を重ねる毎に若いときのように、感動も感激も次第になくなってきたことを否応なしに痛感させられますが、今回ばかりは心に魂にズンと揺さぶられるものがありました。琴線にまで触れると入ったらいいのか?
    私も女房も絵を見て歩くことが好きで、県内外、各地の美術館巡りをしました。明るい絵、上手く描けている絵、巧みな絵、素人受けする絵、一見写真を見まがう精緻な絵は、今まで何百、何千と見てきましたが、今回のようにわずか30分という短時間にもかかわらず、今もって脳裏に強烈に印象づけられる絵は未だかつて皆無でした。
    昨今の日本は余りにも個人主義が跋扈し命を軽んずる事件ばかりで辟易しています。自分が幼かった時代に比べて、いとも簡単に命を奪う事件の何と多い毎日か? …いじめ、自殺、無差別殺人、ひき逃げ、放火、そして大量殺人、保険金殺人ETC。一人でも多くの方が「康花美術館」に足を運んで命の重み、大切さを理解してくれればと願わずにはいられません。(略)何とか松本には縁があります。これを機会に毎年春と秋に貴美術館へ足を運び、違った作品を見せていただくのを今から楽しみにしています」(略)
    (N.T)


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    ★康花さんのとぎ澄まされた感性、そしてそこから出発する集中し多岐に渡る思索をもって生きる事はどれほど重たい事だったろうか。それを表現するために神が与えられた絵画の才能。この康花ワールドに身を置くと私も本当の自分に立ちかえれるようだ。
    (O.A)

    ★厳然とある身体の感覚、苦しさ、恐怖のはるか遠くにあるほのかな光を眺めているようで、涙が出ました。
    (k.H)

    ★来て良かった。緊張感のある画面から康花さんの精神性を強く感じます。又会いましょう。
    (Y.M)

    ★康花さんの苦しみに比べれば、自分の悩みはちっぽけなものだと思うし、自業自得の結果。でも、今日康花さんの絵とその評論をみて、自分の奥底に潜む気持ちを考えさせられました。
    (N)

    ★康花さんの感じていた、見ていた世界を垣間見て、自分の内面に向き合うことの先にあるものを想いました。今、魂が肉体と離れて絵の中のような光の中に包まれていることでしょう。「死」と向き合い「生」を生きることの迫力を感じました。
    (S.M)

    ★ただ日常に流され、ごまかしてやり過ごしている自分。彼女は違う。自分を見つめ自分の人生を見つめ。とてもとても強い人だと思う。苦しみが伝わる。彼女は亡くなったかもしれないけど、生きていると感じる。今日、こうして彼女と私は交流したと思う。彼女が読んだ遠野物語や映画ブリキの太鼓を見てみようと思ったし、そうしてここに来た人の中で生きていくんだと思う。心がゆさぶられるのは彼女が真っ直ぐ苦しみと向きあい、一般の人がさけてる部分を全力で取り組んできたからではないかと思う。

    ★気になって仕方がない美術館でした。作品が生き続けること。想像するすばらしさを感じた場所です。又来ます。

    ★絵を見て押し潰されそうだと思ったのは初めてだった。幻想的な世界観に強く惹かれ私も絵を描きたくなった。
    (F.R)

    ★とても独特で幻想的な世界観があってすばらしかったです。また来たいです。感動をありがとうございました。
    (松本市・中学生)

    ★色と世界観に圧倒されました。作品の一つ一つの題にも考えさせられます。久しぶりの圧倒させる程の感動ありがとうございました。次は、美術(絵画)の好きな娘と一緒に是非訪れたいと思います。

    ★康花さん貴女の作品にお目にかかる事を心待ちにして居りました。画と対話の出来る素晴らしい時間をありがとう。
    (S.H 80歳 女性)

    ★言い当てる言葉が見つからない程の衝撃を受けました。深く知りたくなりましたので「美しい人」を買わせたいただきます。
    (K.S)

    ★作品の一つ一つが語りかけてくるように感じられました。作者の持つ感性にとても衝撃を受けました。女性らしい鮮やかな色使いがとても好きです。
    (Y.M)


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    ★土俗的で夢幻の世界を彷徨する魂の怪奇なる絵画は、魂を揺り動かさずにはいない。
    (F.S)

    ★「美しい人」という本を最近購入し読んでいたら、ぜひ美術館に行ってみたくなり今日に至りました。本でも感じましたが、やっぱり康花さんの絵は生きているなぁと、感じました。繊細なのに深い、すごい感受性の方なんだなぁと感動しました。いつまでもここに居たい、そんな気持ちになりました。今日はありがとうございました。
    (M.Y)

    ★「美しい人」を正面から直視すると、必ず光の加減で自分自身の姿が重なります。「美しい人」をよく見ようとすればするほど、自分自身を直視しなければなりません。そして、ふと振り返れば「双眼」に見つめられていることに気づきます。いえ、正確に言えば6つの目ですね。阿修羅のような厳しい目、透徹した目、…。
     私はこの夏に大切な人を亡くしました。彼女が残してくれたものはいくつかの手記と映像だけです。悲しいわけではありません。ただ、時たまどうしようもなく思うのです。もう彼女はいないのだと。
     ここに来て、康花さんの凝縮された想いの前に立って、あの目に見つめられて思うのです。あちらに行ってしまった人はもう遠い、と。
     いつかあの目を見つめ返す勇気を持ちたい。そんなふうに生きていきたいと強く感じました。

    ★1階の澄んだ美しい絵と2階の奥深い絵との対比がどうしてなのか?やはり、それは彼女の心の中から出てくるのでしょうか?特にイボガエルのようなボコボコは?ムンクの暗いサケビとも似ているし。何か引き込まれそうでした。
    (70代 女性)

    ★私も画家であるが、精神性の強い絵は描けない。何か内に感ずるものがあるのだろうが想像できない。しかし、その絵に私なりに何かを感ずる。本人の意図とは違うかもしれないが。
    (60代 男性)

    ★一つ一つの「絵を見る」と言うより「対面させていただく」という表現をしたくなるくらい素晴らしい世界観。なかなかこの重さは絵から見ることができないと思います。もっともっと康花さんの絵が見たかったです。
    (40代 女性)

    ★今年から長野市に住むことになるので気楽に来れなくなるだろうと思い、再び訪れたしだいです。ブリキの太鼓が印象に残ったので、彼女が影響された映画を見て少しでも彼女の世界観に浸れればと思った。
    (F.R)

    ★白黒で表現される絶妙な色彩、繊細な構図、見る者の心を引き込むような題名、素晴らしい感性の持ち主。
    (T.N)

    ★康花さんの好きだった映画「ブリキの太鼓」私も好きです。それから「カエル」も大好きです。でも、康花さんの描く世界と私の中のそれらを頭の中で描く世界とは全く違います。それは、やはり今まで生きてきた康花さんの「生きること」というあたりまえの様なことをつねに意識していることの違いだと感じました。全てが重みのある絵です。気持ちを込めないと見れない絵です。康花さん、もっともっと沢山見たかったです。
    (松本市 I)



    赤い帽子



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康花美術館  
〒390-0872 長野県松本市北深志二丁目1-27 TEL/FAX 0263-31-0320                       
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